自己・発見

誰も知らない!『方向音痴』の素晴らしさとは?

土日はずっと娘にほおずりして、娘に嫌がれることで癒されているまあまあ困った父親です(因みに娘は1歳と4歳です)。
 
しかし本当にこのコロナ下、土日を持て余しています。子供たちが十分に走り回れるところに引っ越そうかと考えていたら、本日ニュースでもやっていたのですが、都内の不動産市場が好景気みたいです(通常の1.4倍売れているらしいです)。家を売るべきは今か!?
 

皆が好きなもので生きるだけで社会は成立する

こんな社会が本当にくると本気で信じて20年。社会にでてもずっと信じ続けるという(この1点が揺らいだことはありません)、ちょいちょい夢見がちなところがあります。だけどそれを本気で実現したい。
社会のうねりは確実今その方向に流れていますよね、だから最近は確信に近い感覚があります。
 

信じているようで信じていない

最近痛烈に実感していることがあります(いや結構前からうすうす感じ続けていた)。
私は私自身を信じているようで信じていないところがあります。
中々表現は難しいですが、平たく言えばまあまあ弱い人間なんです。
自分自身が感じている未来や価値観には絶対的な信頼を置いています。しかし私は激しく道に迷う人間です。 私の友人の中では有名ですが、私は半端ない方向音痴です(地図を読めない!?)。結構重症です。あまりにも迷うんで自分でも考えてみました。なんでこんなに方向音痴なのか・・・
なんとなく分かりました、私は全ての道を試したい性格をしていて、もしかしたら、自分はシンプルに間違えた答えを出したくない性格をしているのかもしれません。
 

【全ての道を試したい】=【間違えた答えを出したくない】?

もろもろ考えながら書いています。そしたらなんか矛盾した表現がでてきました。一見矛盾しているんですが、矛盾してないのが分かります。
想像してみてください。
行きたいゴールがあって、自分の今の場所が分かっている状態。これが地図を見ている状態です。その地図を迷わず歩めるのは、どのように、どの道で進めばよいか地図が教えてくれるからです。
だけど私が20数年前、
「一人ひとりが自分の可能性や好き!で生きていくの当たり前のプラットフォームをつくる。」
と考えたとき浮かび上がった人生の地図に道は何も示されていませんでした。感覚的には孤島に一人いる状態だけど、どこにあるかはわからない、「可能性に生きる島」がある。
そんな感じでしょうか?
 
・「可能性に生きる島」に辿り着く全ての可能性を試す
・「可能性に生きる島」に辿り着くための正解を出す
 
この二つが一緒なんです。
それがなんだろ、頭の中で描くものだけでなく、私の思考、行動の全てのパターンや構造の中にこれがあり、道の書いてある地図を見ていても普通に迷っています(単純に超方向音痴というのも事実です)。
 

今更わかった事実

 
今のいままで、私は自覚してなかったのでしょう。だから迷ったんです。だから自分がどう進めばよいかが見えているようで見えてなかったんだと思います。
いつも通り、思う全ての可能性を試しながら(人生それはそれは失敗だらけです・・・冗談抜きで私を今日まで生かしてくれた周りの方々に感謝しかありません)、ピンときた道に進む。これだけでいいんだなと、この文章を書きながら自分自身整理されました。
 
全ての道を試したら、どの道が間違っているかが分かるので、少しづつ根拠のある自信が生まれてきそうです。
 
 
自分軸を語りながら、改めて私自身の自分軸が固められた時間でした。明日からまたよろしくお願い致します。