自己・実践

誠実さが人を動かす

皆さん自分の責任であると感じたことがありますか。客観的に見たら自分の責任じゃないことでも清く「自分の責任である」と認めることで時に人を動かすこともあります。松下幸之助は1%でも自分に非があるのであればそれを認めることで自分が成長できるとしています。こんなエピソードがあります。

昭和四年、幸之助が三十四歳のときのことである。松下電器の“図案係一名募集”の新聞広告を見て応募した二十歳の青年が、幸之助の面接を受けた。

 青年は、それまで夜学で電気工学を学びながら、ある町工場でラジオのスピーカーをつくっていたが、青年の提案した製品が売れなかったことからいづらくなり、そこを辞めてきたのであった。

 幸之助は履歴書を見ながら、

「なぜ前の工場を辞めたのかね。きみは夜学にも行っているし、ラジオというのはこれからの事業だよ。それを辞めることはないではないか。きみは電気が好きで、中学校時代にラジオをさわったりしているね。いわば知識があるのに、なぜ辞めたのかね」

 と、尋ねた。

「いや、ほんとうは辞めたくなかったのですけれども、私の提案した製品が売れなかったので、オヤジさんが『何百円損した』『何百円損した』と、私の顔を見るたびに言われるので困っていたのです。そんなとき、新聞で松下電器の広告を見て、私は夜学へ行って電気も好きだし、絵も描ける。だから図案という仕事はやったことはありませんけれども、描けると思う。これはもう天から与えられた職場で、私の生涯はここに賭けるべきだ、そう思ったものですからその工場を辞めてしまいました」

「なぜ慌てて辞めたのかね」

「両方かけるのは私はいやです。別のところにいるまま、こちらへ応募するという気分に私はなれません。石にかじりついてでもこちらへ入りたいと、そういう気持ちで向こうのほうはすっかり辞めました」

「ほう、それはそれでよく分かった。熱心でたいへん結構だが、しかしその売れなかった製品というのは、きみが一人で黙ってやったのと違うだろう」

「当然です。私は図面を書いて、こういう格好になりますと説明しただけであって、私がそれを無断で下請に型をつくってどうこうしたことはありません。オヤジさんがみな自分でやられたのです」

それを聞いて幸之助は言った。

「それはきみ、おかしいね。きみが提案したけれども、それを決定して、それを事業化する、製品化するのはそのオヤジさんがやったのだから、失敗したからといってどうこうきみに言うのは間違っている。それはオヤジさんの責任だ。きみを責めるのは間違いだ」

 その青年は採用され、松下電器の社員となったが、のちにこのときの面接をふり返り、「非常に若いが、責任の所在を明確に解答してくれたことにびっくりした。えらいことを言う人だなという印象を受けました」と述べている。