渋沢栄一翁の名言と人生(2)
渋沢栄一翁の名言と人生(2)
青年期
今回は、渋沢栄一翁の青年期についてお話しします。
さて1858年には、18歳の時に従姉妹の尾高千代と結婚します。
1861年に念願の江戸へ遊学に出ます。
そこで北辰一刀流千葉栄次郎の道場に入門し、勤皇の志士と交流を通して「尊王攘夷」に傾倒していきます。
江戸で一橋家家臣平岡円四郎と交流を持ち、後年栄一らを一橋の家臣に推挙してくれる人物です。
1863年に栄一は、群馬の高崎城を乗っ取り、横浜の当時外国人居留地区を焼き討ちします。
その行為により、親族に類が及ばぬよう父の渋沢元助より勘当されます。
郷里を離れ、従弟渋沢喜作と一路京都へ向かいます。
そこで政変が起き、行き詰まります。
京都には、平岡円四郎が来ており、円士郎の妻に栄一が話すと、「もしも一橋家の家来にしてほしいと
言ってきたら許可したもいい」と言い残し外出します。
平岡から手紙が来て、平岡を栄一、喜作で訪ねると平岡から「一橋家の家来にならぬか」と言われる。
翌朝に平岡を訪ねて一橋家の家臣として正式に仕えることになります。
ここで渋沢栄一の人生は、大きく変わっていきます。

(平岡円四郎)

(一橋慶喜)
ここで彼(渋沢栄一)の名言を2つ紹介します。
- 「得意時代だからとて気を緩さず、失意の時だからとて落胆せず、常操をもって道理を踏み通すように心がけて出ることが肝要である。」
意味:うまくいってる時は、油断せず、失意の時はがっかりせず、いつもと変わらない気持ちで心掛けて行っていくことが大切です。
- 「ことに望んで感激すれば、おのずからやる気が出て奮い立つのだ。」
意味:何かするときに感動、感激して興味を持てば、自然とやる気が出てくるものです。
(今日の一言アドバイス)
下の写真の花畑を見てみましょう。
花畑は、自然とそれぞれが調和して咲いています。
人もそれぞれ個性があり、それぞれの得意とする花を
咲かせていくことが大切です。
そのために自分の好きなこと、得意なことを見つけて
行っていけば、人生は豊かなものになっていきます。
出典:田澤拓也 『渋沢栄一を歩く』 (小学館)
:竜門社編 『渋沢栄一訓言集』 (国書刊行会)
:渋沢栄一 『立志の作法 成功失敗をいとわず』 (国書刊行会)
:鮫島純子 『祖父・渋沢栄一に学んだこと』 (文藝春秋社)