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渋沢栄一翁の名言と人生(3)

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渋沢栄一翁の名言と人生(3)

渋沢栄一翁の名言と人生(3)

渋沢栄一翁の名言と人生(3)

壮年期

1864年2月に渋沢栄一は、一橋家の家臣と正式になり、活躍を始めます。

しかし、ここで事件が起きます。

1864年6月14日に上司の平岡円四郎は京都で水戸藩士らに暗殺されます。(享年43歳)

後任には、黒川嘉兵衛になり、黒川の元でも順調に評価され、1865年には「勘定組頭」(現在、経理課長)まで出世します。

1867年12月5日、一橋慶喜は、将軍職に就任します。

さて1867年パリ万国博覧会に徳川昭武を派遣することになります。

栄一は一橋慶喜にパリに同行するように命じられます。

1867年2月へ50日間かけてパリに向かいます。そこでパリ万国博覧会において近代資本主義に

ついて目覚め、各地を歴訪して製鉄所、造船所、時計工場、ガラス工場、病院、学校などを見聞して

知識を吸収します。

その間、江戸では、徳川慶喜は政権返上をし、大政奉還となり、江戸幕府に幕がおります。

タイトル

サブタイトル

パリの渋沢栄一

タイトル

サブタイトル

パリの徳川昭武一行 左端上段、 ちょんまげ姿の渋沢栄一

栄一一行はパリでその知らせを聞き、1868年9月4日にマルセイユから日本へ帰国することとなります。

1868年12月に横浜港に到着します。

栄一は、静岡へ移った徳川慶喜へ出向きます。

さて明治政府となり、1869年明治政府に役人(旧大蔵省)として出仕します。

静岡にて「日本発の株式会社」となった商法会所を設立します。

1873年6月11日には、我が国最初の国立銀行「第一国立銀行」が設立されます。

(第一勧業銀行から現在のみずほ銀行にあたります。)

同年、製紙会社となる後の王子製紙株式会社を設立します。

同年大蔵省を辞職し、第一国立銀行頭取に就任し、実業家としての道を歩んでいきます。

その後、東京商法会議所(現在の東京商工会議所)など様々な会社や団体の設立に関わります。

同時に福祉事業、教育にも熱心に取り組んでいきます。

福祉は、東京養育院など、教育は、商法講習所(現、一橋大学)、大倉商業学校(現、東京経済大学)

などに携わります。

 

ここで彼の名言を記します

 

ただそれを知っただけでは上手くいかない。
好きになればその道に向かって進む。
もしそれを心から楽しむことが出来れば、いかなる困難にもくじけることなく進むことができるのだ。

 

(今日の一言アドバイス)

夜明けは、必ず来ます。

どんな状況でもあきらめずに前を向いて歩いていけば、

道は開けていきます。

心の持ちかた一つで毎日を充実したものに変えるか

面白みのないものにするかは自分次第です。

出典:田澤拓也著 『渋沢栄一を歩く』(小学館

   :竜門社編渋沢栄一訓言集』(国書刊行会

   :鮫島純子著祖父・渋沢栄一に学んだこと』(文藝春秋刊

この記事を書いた人

渡辺昌太郎

渡辺昌太郎

プロフィール

幼少の頃、アメリカにてミッションスクールでアメリカ人と教育を受けて人生を楽しむことの大切さを海外から学びました。アメリカでは、自国の文化、習慣を語ることを授業で行い、日本ではないことだと思いました。その中で日本の歴史と欧米等の歴史にも強く関心を持ち、欧米と日本の教育の違いが何かを考えました。大学卒業後、大手IT会社にて経理、総務、技術等の経験をし、その中でボランティアなどを含めて悩み、転職などの相談を受け、なぜ日本での働き方、生き方が生きづらいのかを独自で研究してきました。人の生きる目的、価値観、哲学を持つことの大切さを痛感しました。世界の文化、歴史、価値観、ライフスタイルは多様であり、広い視野でものを見つめることが大事です。より充実した人生を送れるようサポートをさせて頂ければと思っております。

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